時事問題

8月9日は、広島に続いて長崎に原子爆弾が投下された日でした。朱雀式は、被爆の熱線や後遺症で無くなった10万人の御魂に、深い哀悼の意を表します。

アメリカ軍は、戦略的にも全く必然性がなく、道義的にも全く承認し得ない悪魔の人体実験を、広島のみならず長崎でも行ないました。理由は簡単、「広島ではウラン型を試したので、プルトニウム型も試してみたかったから」です。

私たちは、ヒロシマ・ナガサキを、「戦争の愚かしさ」を漠然と理解するためだけのイコンとせず、アメリカの非人道的な大虐殺行為を、最悪の戦争犯罪として認識しておくべきです。

その意味において、長崎の平和宣言文は筋が通っています。

長崎の平和宣言文

あの日、この空にたちのぼった原子雲を私たちは忘れません。

 1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機が投下した1発の原子爆弾が、巨大な火の玉となって長崎のまちをのみこみました。(略)

 7万4000人の人々が息絶え、7万5000人が傷つき、かろうじて生き残った人々も貧困や差別に苦しみ、今なお放射線による障害に心もからだもおびやかされています。
(略)
 私たちはさらに強く核保有国に求めます。まず、アメリカロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません。世界の核弾頭の95%を保有しているといわれる両国は、ヨーロッパへのミサイル防衛システムの導入などをめぐって対立を深めるのではなく、核兵器の大幅な削減に着手すべきです。英国、フランス、中国も、核軍縮の責務を真摯に果たしていくべきです。

 国連と国際社会には、北朝鮮、パキスタン、イスラエルの核兵器を放置せず、イランの核疑惑にも厳正な対処を求めます。また、アメリカとの原子力協力が懸念されるインドにも、NPTおよびCTBTへの加盟を強く促すべきです。

 わが国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務があります。日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。また、日本国憲法の不戦と平和の理念にもとづき、非核3原則の法制化を実現し、「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討すべきです。(略)

 2008年(平成20年)8月9日

 長崎市長 田上富久
長崎平和宣言の全文 長崎・平和祈念式典

まあ最終的には憲法九条などの空想的平和主義に帰着してしまうとこがまぁ仕方ないところなんですが、原爆投下の当事者であるアメリカの責を問い、ロシア、英国、フランス、支那などの核保有国に対する批判、そして目下の危機である北朝鮮への批判もちゃんと盛り込まれています。それにひきかえ広島の宣言文は、これはひどい。

広島の平和宣言文

 平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」-被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰にもさせない」ための決意を新たにする日です。(略)

 そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生(うま)れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

 (略)さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

 (略)核不拡散条約は190カ国が批准、非核兵器地帯条約は113カ国・地域が署名、昨年我(わ)が国が国連に提出した核廃絶決議は170カ国が支持し、反対は米国を含む3カ国だけです。(略)

 対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

 日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。(略)

 2008年(平成20年)8月6日
 広島市長 秋葉忠利
広島・原爆の日「平和宣言全文」「平和への誓い」|山形新聞

アメリカのことはおろか、北朝鮮のことも一言も触れられていません。この宣言文を読んでいると、まるで原爆は何か天から降ってきた自然災害か何かのように思えてきます。
これがあの原爆碑の有名な碑文
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
に繋がる広島式平和主義なのでしょう。

パール博士の平和宣言

東京裁判で、国際法の判断に基づき「被告人(日本)、全員無罪!」を主張したパール博士は、1952年に来日、広島の原爆慰霊碑に黙祷を捧げた際に、この碑文を見て怒りを発しました。

「この『過ちは繰返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、
その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして『二度と再びこの過ちは犯さぬ』というならうなずける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」
Amazon.co.jp: パール判事の日本無罪論 (小学館文庫): 田中 正明: 本

そしてパール博士は、広島にある寺の住職に『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文をと頼まれ、こんな追悼文を残しました。

『大亜細亜悲願之碑』

(激動し 変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が
万斛「ばんこく(数多)」の想いを抱いて死んでいった
しかし 大地深く打ちこまれた  悲願は消えない)

抑圧されたアジア解放のため その厳粛なる誓いに いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!あなたはわが心の中にある その啓示に従って われは進む

 1952年11月5日  ラダビノード・パール

日本は先人達の持っていたアジア解放の悲願と、アメリカが犯した戦争犯罪を忘れではなりません。
その上で自らも核武装することによって、危険な覇権主義国家である支那や北朝鮮のようなならず者集団に対して、核廃棄を主体的に語りかけていくべきでしょう。

(櫻木)