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本日はお日柄もよく天長節です。関東はからりと晴れまして、日の丸が青空に映えていますね。朱雀式では国民の祝日にはトップのバナーにも日の丸がひるがえるようにしてみました。

さてその天長節に際し、宮内庁サイトでは天皇陛下の勅語が掲載されています。天皇陛下のお誕生日に際してのご感想とこの1年のご動静

ご自身の体調の話から、災害の被災地、オリンピックやノーベル賞の話題など、種々様々に御心を配られたありがたい御言葉にいたみいります。

天皇陛下という存在が尊いのは、こうして無私の存在として常に臣民の生活を思い、祭事を執り行なわれているからです。「祭祀王」という性格としてはローマ法王のそれと似ていると言えるかもしれません。今は学校でも「天皇陛下がなぜエライのか」ということを教えないので意識しない人も多いでしょうが、これは日本と言う国家の成り立ちを考える上で非常に大事なことだと思います。(戦前のように「とにかくエライ!」だけでも困りますが)

そういう意味では「現人神」という古い言葉を持ち出すまでまでもなく、天皇としてこの世に生を受けると言うことは、普通の人間として生きることは許されず、ひたすらに民のことを祈る存在として日々の激務をこなすこととなります。

そこでちょっと気になったのはこのくだり。

4 昨今,私や家族の健康のことで,国民に心配をかけていることを心苦しく思います。私も,健康に問題がないとは言えませんが,医師の注意を守り,これからも国と国民のため,また,より良き皇室の姿を求めて務めていきたいと考えています。皇太子妃が病気の今,家族が皆で,支えていくのは当然のことです。私も,皇后も,将来重い立場に立つ皇太子,皇太子妃の健康を願いつつ,二人の力になっていきたいと願っています。
天皇陛下のお誕生日に際してのご感想とこの1年のご動静

むしろ陛下にこのようなご心労を煩わせてしまっていることこそが、臣民として心苦しく思います。
戦後、日本人は皇室に「仲むつまじい理想の家族」の姿を投影してここまでやってきました。復興期のシンボルとしてはそれで良かったのかもしれませんが、「祭祀王」という“超越者”と、「理想の家族」という普通人とを同時に求めるというのは、いささか無理があったのではないでしょうか。

「開かれた皇室」という議論がありますが、僕は皇室を今後も国民全体の尊敬を集めつつ存続させていくためには、「閉じられた皇室」にしていくしかないんじゃないかと思っています。
お寺のご本尊も、何百年に一度ご開帳するからありがたいのであって、神秘性とは秘匿されることによって成り立つものだからです。(勿論、ご皇室、陛下の”尊さ”は神秘性とは別に確固として存在しますが)

(櫻木)