コラム

今日は天長節(天皇誕生日)なので、盛大にお祝いをし、贈り物をしました。翌々日にはクリスマスなるキリスト教の祝祭がありますが、天子様も神の子ならば、我ら等しく陛下の赤子として、そのご生誕をこそ優先して祝うのが臣民としての優先事項であります。

さて、とは言うものの、必ずしも国民全体が天皇陛下を個人崇拝するのではなく、国家の象徴としての皇室、天皇制度への忠義を果たす、という形でいいのではないかと、仲間内でも左翼をウワサされるほど超の付くリベラリストである僕は思っています。

具体的に言うと、こうした祝日には、各家庭の軒先に国旗が掲揚されるような、グローバルスタンダードな国に戻ってくれるといいなあ、と思います。オリンピックその他の行事のときによく取りざたされるように、日本人は自国の国旗と同様、他国の国旗にも敬意を払わないので、しばしば非難されます。しかしそれは何も日本人が生まれつき失礼とかそういう問題ではなくて、単純に国旗への敬意を払うような教育を受けてきていないからです。

学校で公式行事のときに掲揚するのは当たり前として、家庭で父親が元旦・祝日に国旗を恭しく掲揚し、夜には大事に箱にしまう姿を見せることほど、子供に国旗に対する意識を教える良い方法はないのではないでしょうか。

このブログは、割と年配の方も読まれていると思うのですが、20年位前は、まだ一般家庭の国旗掲揚はそれなりにされていましたよね。それが最近、なぜかくも廃れてしまったのでしょうか。

それは恐らく、国家解体のために、「国旗=軍国主義」というたちの悪いプロパガンダを流し続けてきた朝日、NHK等の左翼マスコミ、子供に「日の丸=血の色」等とホラー洗脳をしてきた教育機関の成果によるものでしょう。まったく教育はじわじわと社会を蝕んで、気付いたときにはシステム根本的に作り変えてしまう恐ろしい力を持っています。

…なんて言いながら、結局僕も今年は社会の同調圧力に負けて、家で小旗を掲揚するにとどまってしまったわけですが、新年元日からは、国旗を掲揚する習慣を率先して始めてみようと心に決めています。軒先には門松と日章旗、空き地では子供が凧揚げ。そんなのどかな昭和の風景が戻ってくることを願って。

(櫻木)