時事問題

65年前の今日、地上の楽園、テニアンから飛び立った一機の爆撃機は、広島を地獄に変えた。それは人道に対する挑戦だった。
歴史上、人間がこれほど大規模に、かつ残虐に、かつ明確な犯意をもって殺されたことはなかっただろう。

広島。

原爆投下による死者、14万人。
後遺症で苦しみながら病死していった死者、計測不能。

その動機、悪逆非道。

「原爆投下は、戦争を早めるために仕方のないことだった」という珍説がある。言うまでもなく、アメリカがその立場を正当化するための、詭弁だ。(日本でも、あろう事か防衛大臣がこんなことを言ったことがある。)

では原爆投下という凶状をやってのけたアメリカの真意はどこにあったか。

まず一つは、日本の次にライバルになるであろう大国、ソ連に対する牽制だった。当時、アメリカとソ連とは連合を組んでいたが、そもそもこの両国はあまりに価値観が違う。いずれ冷戦状態になることは明らかなので、アメリカは「こんな恐ろしい新型爆弾を持っている」ということをソ連に見せつけてやる必要があった。

今ひとつは、人体実験である。
それは、人体実験と言っていい。実際に新兵器である原子爆弾を、都市に投下したらどうなるのか。建物の被害はどの程度か。人体に与える影響はどのようなものか。
こうしたデータを得るため、また前述の通りソ連ににらみを効かせるため、原爆を投下したかったのだ、アメリカは。
アメリカは、同じ敵国でも、ドイツには原爆を落とそうとは考えなかった。生意気な有色人種の国家である日本になら、良心の呵責無く実行に踏み切った。この人体実験は、日本をまるで実験用の猿かモルモットのように扱う、人種偏見を元に実行された忌むべき戦争犯罪である。

アメリカは日本を降伏させなかった

当時、日本の継戦能力は限界に達しつつあった。しかし原爆投下のためには、アメリカは日本に降伏してもらっては困る。
何も知らない日本の外交が、ソ連にアメリカとの仲介を打診している間、ソ連は北海道への奇襲計画を、アメリカは原爆の投下準備を、着々と進めていた。

そこでアメリカが中心となって日本に突きつけたのが、かの有名な「ポツダム宣言」である。
このポツダム宣言には、当初天皇の地位を保全する第12条があった。しかし、トルーマンはこの条項を削除させた
するとその宣言は、
・日本軍の無条件降伏か、日本の徹底的な殲滅
という二者択一を迫るものとなった。これでは日本は戦争を辞めたくても辞めることが出来ない。日本はこの宣言を黙殺した。

すると間もなく、8月6日、広島に原爆が投下された。
広島の街は灰燼に帰した。

アメリカは、現在の実質的な植民地日本の占領宗主国である。また国際的、地理的な戦略上、軍事的な関係を結ぶ必要は大いにある。だが、それでもこの原爆投下は、人類史上に類を見ない、国際法上も人道上も許されざる戦争犯罪であることは間違いない。何でも水に流すのは日本の美徳ではあるが、このことは忘れてはいけない。

「安らかにお眠りください あやまちは決して繰り返しませぬから」

今年も、5501人の被爆者が亡くなった。果たして彼らは安らかに眠ることが出来たのだろうか?

広島の碑文にあるこの文句を「過ちは繰り返させませんから」もしくは「仇はとりましたから」などに書き換えるまで、我々現役世代は戦っていかなくてはならない。

末筆ながら、原爆でなくなった全ての方に謹んで哀悼の意を捧げます。

(櫻木)