時事問題

先週起こった長久手の立てこもり事件と愛知県警の対応の不備は、国内に大きな非難の声を巻き起こした。特に、拳銃を持って警察官に向かって発砲している凶悪犯を前に狙撃すらさせず、対テロ精鋭部隊SATを人壁として使って犠牲を出すという体たらくに至っては、憤りを通り越してむしろ哀れすら感じる。

GHQ洗脳、共産主義、戦後民主主義、人権主義などの複合によって、現代の日本ががんじがらめになってしまっていることを、雄弁に象徴する事件だった。

だが翻って国外に目を転じてみると、そっくり同じ構図があるではないか。

北朝鮮のミサイル発射

防衛省に25日入った連絡によると、北朝鮮が同日午前、北朝鮮東部と西部の沿岸部からそれぞれ、日本海と黄海に向けて地対艦ミサイルを発射した。射程100キロ程度であることから、短距離のシルクワーム型とみられ、海上に落下したもようだ。(北、日本海に地対艦ミサイル発射 短距離型-世界からのニュース:イザ!

25日、北朝鮮はまたミサイル発射の軍事的示威行動をとった。阿部首相は日本の安全保障にとって重大なことではない、とする見解を発表しているが、(それもどうかと思うが)問題はそのミサイルの戦術的効果ではなく、このタイミングでそうした行動に出たという戦略上、外交上の問題である。

六カ国協議の合意を全く無視し、核施設を相変わらず稼動させたままで金の無心をし、ミサイルを発射して周囲を威嚇、恫喝する。身勝手で支離滅裂な主張と、危険な武器の乱射。長久手の立てこもり犯と全く同じ、危険な集団だ。

しかして、日本は相変わらず手も足も縛られたまま、友好的な対策をなんら採れず、米や金の支援、国交正常化などと寝言を言い続けている。まさに、部下が被弾、射殺されているのに「あなたを守りたいので出てきてね」「出てきてくれてありがとうね」等と最後まで低姿勢で「お願い」し続けた愛知県警は、日本の国家権力の縮図である。

反撃なければ防衛できず

北朝鮮のみならず、シナもその核ミサイルの矛先を日本に向けていると言う。それでもまだ、先制攻撃されるまで日本は何もできないのか。核ミサイルを打ち込まれては一巻の終わりである。

いや、長久手の事件では、撃たれてからでさえ何もできなかったことを思うと、暗澹たる気分にもなるが、ここへ来てようやくGHQ憲法改正の動きが出てきたことはせめてもの救いだ。

そろそろ日本も太平の眠りから醒めなくてはならないときに来ている。日本人の覚悟が問われている。

(櫻木)