僕は、季節ごとの伝統行事を大事にする方です。四季折々の風土に根ざした日本のしきたりは、そのまま自然の恵み、八百万の神への感謝につながる豊かな習慣だと思います。
しかし、正月にお屠蘇を飲み、節分には豆を撒く僕でも、いまいちなじめない、というかあまり積極的に取り入れる気がしない風習があります。
恵方巻き。(でも我が実家では4~5年前から取り入れられました)
「その年の恵方を向いて、太巻き寿司を無言でまるかじりする」という、由来も意味も全く不明なこの風習。ネット人の頼みの綱のWikipediaを見ても、「という説がある」「要出展」の嵐で、実際のところが全く分からない。 (恵方巻 – Wikipedia)
とにかくよく分からないんです、意味が。
お屠蘇なら、「かの中国史に残る伝説的名医、華佗が作った薬用酒」と聞けば三国志時代に思いをはせて「ほほ~っ」となれるし、豆まきには「炒り豆で鬼の目をつぶした」と聞けば「ムムム」と勇壮な気分にもなれるというものです。
しかし、こと恵方巻きについては、ただ太巻き寿司を食べてるだけで、いったい自分が何をやっているのかさっぱり分からない。
この風習、どうやら関西が期限といわれていますが、それがコンビニ等の消費プロモーションによって全国に広がった、というのだけは確かなようです。
近年、節分の頃よく見かけるようになった“恵方巻き”。 数年前までは関西以外の地域ではほとんど知られていなかった“恵方巻き”が、コンビニやスーパーなど、流通各社の大々的な宣伝もあり、ここ数年で急速に全国に広まっています。節分に“恵方巻き”を食べる人が増え、昨年の“恵方巻き”市場は144億円(推定)にまで膨らみました。 今年の節分でも、更に市場が拡大する見込みです。
バレンタインデーのチョコレートと同じく、単純に季節モノの商品を大量購入させようとするマーケティングの産物なわけで、そこには宗教的・儀礼的な意味も季節感をあまり見出すことができません。
というわけで僕はこの恵方巻きという風習、高度消費社会、均一化される現代日本における、一種の新興宗教のようなものと理解しています。
余談ですが。
粗食のすすめ お弁当レシピという本で紹介されていたのですが、おにぎりはいわゆる三角型のものだけではなく、地方によって俵型だったり丸型だったりと、色々バリエーションがあったそうです。しかしこれは今後、コンビにの流通によって、三角型ひとつに淘汰されていくことでしょう。
こうした均一化は、方言や習慣の消失と同様、情報流通社会における必然なのかもしれません。
(櫻木)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080129/trd0801290250000-n1.htm
芸者の○ェ○顔を楽しむもの説。これが事実ならこんなものはやってええんかいな、とは確かに思いますわな。
けしからん! なんだか妙に説得力のある説ですね。
だって起源が謎過ぎる、というか無意味過ぎる。
大正時代に大阪の海苔屋&寿司業界が大々的にキャンペーン張ったのが契機で
当時のチラシが出てきています。
恵方の厄除け行事や、節分の厄除け餅だの厄除けイワシだのといった
厄除け食の類自体は江戸期からあり、
大阪の下町には節分厄除け法要で有名な我孫子観音があり
参道にはその手の厄除け饅頭など各種厄除け○○が名物になる文化があったりしますし
そのあたりからの風習でしょうと言われています。
幕末にまで遡るという説もあります。
(厄除けの恵方神自体は陰陽道の思想でもっと古くに遡ります)
というわけで、大正期の海苔屋や、昨今のコンビニの商業的なキャンペーンはあれど
それなりに古くからある民間信仰と言えると思いますよ。
(ある程度)古くからあっても、最低限の由来がなければ神事としては成立しないと思うんですよね…。