時事問題

取り押さえられる犯人

昨日秋葉原で発生した通り魔事件は、トラックで歩行者天国につっこんだ後、刃渡り13cmのサバイバルナイフで通行人を殺傷しまくるという、陰惨勝つ残忍な手口の凶悪事件だった。被害者は死者7人、重軽傷者10人にものぼった。被害者の冥福を祈るとともに、犯人の極刑を願う。

トラックはほとんどスピードを緩めずに突っ込んできた。出てきた加藤容疑者は
持っていたサバイバルナイフで何度も刺した後、自分がはねた別の男性にも馬乗り
になって複数回刺した。人が集まって止めようとすると、刃物を振り回して抵抗した。
痛いニュース(ノ∀`):秋葉原歩行者天国で通り魔 10人ケガ、7人死亡

警察の対応

しかしこれほどまでの凶行を重ねさせる前に、少しでも早く解決できなかったものかと思わずにはいられない。
最終的に犯人を取り押さえた勇敢にして優秀な警察官への賞賛は惜しまない。また、最初に凶刃に倒れ殉職した警察官の貢献と活動を何ら否定するものではない。

ただ、第一に現場に駆けつけた警察官が、犯人に背を向けて被害者の救助にあたろうとしたのは、不覚と言っては酷だろうか。市民の保護を最優先とするならば、今倒れている人よりも、先に新たな被害者が増える可能性を消さなくてはならないはずだ。

通り魔と対峙する警察官また、最終的に犯人を制圧した警察官は、警棒でチャンバラのように犯人と渡り合ったという。格闘戦の末、かなわじと見て逃げ出した犯人を追い詰め、最終的に発砲の構えを見せ、ようやく観念した犯人を取り押さえたらしい。

警察の装備

警察官の警棒は、長さはわずか65cmの棒にすぎない。近年、凶行犯が警察官に抵抗するケースが多く、「短くて間合いが取れなくて危険」と現場の警察官から要求が出て、改良された結果がこの65cmである。多少長さや強度を調節したとしても、刃物に対して棒では限界がある。

それでも犯人を制圧できたのは、まさに日頃の訓練と覚悟のたまものだろう。しかし、これは危ない橋だ。もしこの警官まで運悪く凶刃に倒れていたら、さらに多くの犠牲者が増えたに違いない。

発砲するべき凶悪犯

結論を言おう。警察官は、もっと早く発砲するべきだった。歩行者天国という、通行人の多い状況だったとしても。

何も「日本もアメリカ並みに」等と言うつもりはない。街中にライフルショップがある拳銃社会のアメリカと日本とは比ぶべくもない。バカボンのお巡りさんやL.A.P.Dのナッシュ・ブリッジス刑事のように発砲しろとは言わない。しかし、明確な殺意をもって刃物を振り回す連続殺人鬼に対してでも発砲できないとしたら、警察官の拳銃はいったい何のためにあるのか分からなくなる。

警官が発砲したり、犯人が射殺されたりすると、日本の反権力・市民団体や人権派弁護士が騒ぐらいい。瀬戸内シージャック事件以来この悪習が形作られたと聞く。
では、何の理由もなく7人の命を奪ったこの殺人犯の人権は、殺害された7人の命よりも重いのだろうか?

僕は一市民として、日本警察に対し、こうした凶悪犯への適切な対処、すなわち迅速な状況判断と的確な発砲で、被害を最小限にとどめるよう努力することを希望したい。

もう一つの解決策

とは言え、人通りの多い場所での発砲などは、やはり難しいかも知れない。もしも流れ弾が通行人に当たったりしたら、人権屋が鬼の首を取ったように警察を晒し上げることだろう。

元内務省警視局 斉藤一それならば、昭和初期の警察官のように、腰にサーベル拵えの日本刀を提げておくというのはどうだろうか。警察では、逮捕術や拳銃射撃とあわせて、柔道・剣道の訓練もしばしば行なわれている。居合・剣術でも、明治時代に作られた「警視流」という流派が存在する。
日本の凶悪犯は、アメリカと違って刃物を振り回すものが多い。ピストルvs刀では、13代目石川五右衛門ででもないかぎりかなり分が悪いが、ナイフvs刀なら、圧倒的に刀が有利だ。

刀は、武器であると同時に日本人の精神性の象徴でもあった。かつて明治維新で職を失った多くの武士は、帯刀の許される警官の職に就き、西南戦争では「抜刀隊」として大いに活躍したと聞く。(ちなみに、前述の「警視流」はこの時に剣術が見直されて制定された)

イギリスでは、今でも騎馬警察がロンドン市街をパトロールし、観光客の人気を博している。これは単なるウケ狙いではなく、機能と見た目の両方の優位性から採用されていると聞く。日本もこれに習って、帯刀した警察官が新宿や秋葉原をパトロールすれば、見栄えも良く、抑止力にもなっていいのではないだろうか。

(櫻木)