時事問題

新財務相の中川氏が、会見場に日の丸を掲揚したところ、「国民の中には違和感を持つ人もいる」と反対の声を上げた記者がいるそうな。「国民の中には違和感を持つ人もいる」とはどういうことだろうか。自分の感じた「違和感」を、勝手に我々国民に転嫁しないでいただきたい。おそらく北海道新聞の記者と思しきこの左翼記者は、日本の国旗を最初から否定している危険思想の持ち主である。

財務省は十七日、中川昭一財務・金融担当相の閣議後会見を機に会見場に日の丸を掲揚し、会見を主催する財務省の記者クラブ・財政研究会(北海道新聞社など国内外の新聞、放送、通信各社が所属)の一部の記者が「国民の中には違和感を持つ人もいる」などと抗議した。会見自体に大きな混乱はなかった。中川財務相は「世界に発信する場という認識で国旗掲揚は当然だ」と述べた。
痛いニュース(ノ∀`):財務省、会見場に「日の丸」掲揚→記者ら「違和感持つ国民が!」と抗議

これは、近代国家ではちょっと考えられない心情だ。どこの国でも、国旗はとても大切に扱われる。アメリカの小学校では、授業の前に毎日星条旗への忠誠を誓うところから始まる。小学校に進んだ児童が、まず最初に覚えるべきことは、よき国民になるために国家に敬意を払い、誇りを持つことだからだ。それが、将来にその人間が国家-地域社会ー多くの人々ー公共の福祉に貢献する人材を育てる一番良いやり方だからだろう。

そして通常、自国の国旗は勿論、他国の国旗も最大限の経緯を持って扱われるのが普通だ。なぜなら、国旗はその国の象徴だからである。(この点で、他国の旗を燃やすことを国技としているかの国は世界から蛮国として蔑まれているのである。)
つまり国旗を否定するというのは、とりもなおさず国家を否定するということにつながる。

しかし日本の左翼マスコミは、喜々としてこれをやる。日教組系の左翼教師は、国旗・国家を敵国の旗のように憎悪する。

これは、戦後にGHQが日本弱体化計画の一環として、「超国家主義」に対抗するため、思想犯の共産主義者を多数社会の要職に放ったことに端を発する。

まともな国ならば、左翼はプライドたりうるだろう。まともな国のまともな左翼は、愛国者だからだ。彼らは、右翼的な立場とは別の見地から、その国をよりよくするような政策を考える。その国を愛するから、その国に住む弱者を守ろうともする。

しかし日本の左翼は、根がコミンテルンの指令を受けた共産主義者、国家転覆主義者である。そのため、彼らの反政府的な言辞は、全て反国家の様相を帯びるのだ。
与党にしろ、「リベラル」なメディアにしろ、政府、政権与党に対して健全な批判機能が働くのは望ましいことである。しかし、それが「反政府」ではなく、「反日本」となってしまうのが日本の現状なのだ。

ここに戦後日本の病理が象徴されており、日本が未だ戦後を脱することが出来ない原因であり、アメリカの放った「遅効性の毒」はいよいよもって日本の全身に回っているのだった。

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